「トンネルを抜けるとそこは麦田町」
石川町・元町方面から本牧方面へ。
山手トンネルを抜けると本牧通りを挟むように広がるのが「麦田町」です。
人口1300人余、0.066平方kmの小さな町ですが、古くから栄えた本牧通り沿いの商店街を中心に、本牧エリアの入口を賑やかに活気づけています。

麦田町の歴史と未来

この地域は、1901年(明治34年)に横浜市に編入され、1927年(昭和2年)の横浜市の区制施行により中区となります。
それまでは、根岸町の一部でしたが、1928年の地番整理で横浜市中区「麦田町」が誕生します。
(参考:wikipedia「麦田町」)
本牧通りには1911年(明治44年)から1972年(昭和47年)まで横浜市電が走り、1970年(昭和45年)までは麦田交差点横(現在の「老人福祉センター麦田清風荘」「麦田地域ケアプラザ」のある場所)に車庫が置かれていました。
本牧通りを体を揺すって走る市電とその車庫は、麦田の人たちの小さな誇りでもありました。
麦田交差点脇には「市電車庫跡地の碑」が建てられています。

- 横浜市電保存館
- 昭和36年冬の横浜市電@麦田 [昔鉄スナップ]:Cedarの今昔写真日記
- 昭和の写真 横浜市電:淡彩スケッチ町ある記
上下あわせて2本ある山手トンネルのうち、元町から麦田へ向かう側(南行き)のトンネルは、かつて「本牧隧道」と名付けられた市電専用のトンネルでした。
また北行きのトンネル(山手隧道)と、ちょうどトンネルの入口のところにある石造りの跨道橋「桜道橋」は、ともに関東大震災の復興事業として建設されました。美しいアーチ型のデザインで統一されており、戦前の薫りを残す横浜市認定歴史的建造物に指定されています。
- 麦田町あたり:週刊 横濱80's

本牧エリアは米軍住宅があったこともあり、アメリカの匂いのする町として親しまれてきました。一方、三渓園のような日本古来の雰囲気も併せ持っています。
そのため、「横浜といえば本牧」というほど本牧を愛する人たちが、地元のみならずたくさんいらっしゃいます。
麦田町をはじめこの地区は、そんな多くの「本牧ファン」のみなさんと共に、さらに発展していくことでしょう。
